Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

赤木『イエスと洗礼・聖餐の起源』pp.289-290

赤木 善光『イエスと洗礼・聖餐の起源』東京: 教文館, 2012年, pp.289-290

〈構成〉
第一部 イエスと洗礼・聖餐の起源
 第一章 現代日本人のイエス
 第二章 現代の聖書学における聖餐の研究
 第三章 聖餐の起源の問題
第二部 現代におけるサクラメントの問題
 第一章 現代における洗礼の問題
 第二章 サクラメントの倫理化――改革派教会の根本問題
 第三章 その他の問題
付論 日本基督教団の諸問題
 第一章 日本基督教団エキュメニズム
 第二章 日本基督教団の二重構造性について
 第三章 他教派を理解するとはどういうことか――合同教会の問題との関連において
 第四章 井上良雄と東神大紛争

〈引用〉
第七節 洗礼とは何か 洗礼の本質

 洗礼は、キリストの死と復活との体に結ばれ、一体となることであり、また聖餐はその体と血とにあずかることです。両者はキリストの身体性という点において共通しています。しかし洗礼は一回限りであるのに対して、聖餐は繰り返されます。この点において両者は相違しています。この相違を理解するためには、サクラメントとしての洗礼の有する独自性の認識と歴史的思考をふくむ教会の救済史的視点が不可欠です。また一回性という点では、異教からユダヤ教への「改宗者洗礼」も、洗礼者ヨハネの洗礼も同様に一回ですが、キリスト教の洗礼の一回性には、それらとは異なる独自の意味があります。