Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

赤木『なぜ未受洗者の陪餐は許されないのか』p.82

赤木 善光『なぜ未受洗者の陪餐は許されないのか――神の恵みの手段としての洗礼と聖餐』東京: 教文館, 2008年, p.82

〈構成〉
I 現代におけるサクラメントの問題
 序
 第一章 教会史的考察
 第二章 現代におけるサクラメントの問題
II なぜ未受洗者の陪餐は許されないのか
 第一章 未受洗者の陪餐を許すべきだという主張
 第二章 未受洗者の陪餐を許すべきだという主張に対する批判
 第三章 赤岩栄が残した課題――上原教会が辿った歴史
 参考資料 陶山義雄「想起すべき聖餐・愛餐――赤岩栄が残した課題」

〈引用〉
 いま一つの理由は、事柄の本質上、未受洗者の陪餐を許すことは出来ないということです。それは後に申し上げるように、洗礼と聖餐とは本質的に密接に関連しているからです。たとえ未受洗者であっても、陪餐を許すべきだという主張は、洗礼と聖餐とが無関係であって、両者を切り離すことができるということを前提にしています。洗礼は洗礼、聖餐は聖餐であって、両者は無関係だと考えています。しかしそうではないのです。両者は本質的に関連しているのです。したがって、未受洗者の陪餐は許されないのです。