Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

赤木『イエスと洗礼・聖餐の起源』p.247

赤木 善光『イエスと洗礼・聖餐の起源』東京: 教文館, 2012年, p.247

〈構成〉
第一部 イエスと洗礼・聖餐の起源
 第一章 現代日本人のイエス
 第二章 現代の聖書学における聖餐の研究
 第三章 聖餐の起源の問題
第二部 現代におけるサクラメントの問題
 第一章 現代における洗礼の問題
 第二章 サクラメントの倫理化――改革派教会の根本問題
 第三章 その他の問題
付論 日本基督教団の諸問題
 第一章 日本基督教団エキュメニズム
 第二章 日本基督教団の二重構造性について
 第三章 他教派を理解するとはどういうことか――合同教会の問題との関連において
 第四章 井上良雄と東神大紛争

〈引用〉
第一節 バルト親子によるサクラメント否定論成立の経過

 現代におけるサクラメントの問題は、カール・バルトの幼児洗礼否定論から始まって、サクラメントの倫理化とその否定により、深刻な問題となってきました。このサクラメント否定論は、歴史的に概観しますと、一八世紀の啓蒙主義に始まる聖書の歴史的批評的研究による「非宗教化」の流れが現在にいたって、サクラメントや礼拝の中まで押し寄せてきたものだと言うこともできます。初めは聖書の歴史的批判的研究であったものが、ブルトマンの様式史的研究による聖書の「非神話化」を経て、サクラメントの「非宗教化」つまりその否定にまで至ったものです。その間、わが国においては、滝沢克己八木誠一に見られるように、「イエス」と「キリスト」とを分離し、「キリスト」を「インマヌエルの事実」や「統合」の哲学とすることにより、聖書のみならず、イエス・キリスト自身をも「非神話化」また「非宗教化」することが試みられています。
 一旦、聖書の非神話化を始めれば、その勢いは留めることができず、非神話化がキリストやサクラメントにまで及ぶことになったのは、必然的であったと言えるかも知れません。現在、聖餐はしばしば愛餐化されることが多いのですが、それは聖餐の「非神話化」また「非宗教化」更に「非神聖化」すなわち「世俗化」だと言うこともできます。