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村田充八 宗教の発見 第一章

村田充八 宗教の発見 第一章
【関心・疑問】

【論文名】
第一章 宗教的人間と社会の分析視角

【著者名】
村田 充八

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
『宗教の発見――日本社会のエートスキリスト教阪南大学叢書; 88, 京都: 晃洋書房, 2010年, pp.1-22

【本文の構成】

第一章 宗教的人間と社会の分析視角
第二章 生駒の民間信仰と聖性
第三章 日本社会とキリスト教の影響力
第四章 カルヴィニストの信仰と日本社会
第五章 日本社会の宗教動向と社会的エートス
補遺 キリスト者の人生
書評

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
 オランダの文明批評家ヨハン・ホイジンハ(Johan Huizinga, 1872-1945)は、中世の社会とエートスを問題にして、『中世の秋』を著わした。彼は、十四世紀の終わりのヨーロッパにおいて、人々が、苦難や不平等を経験しつつも、死の前における平等を思い、死の恐怖から逃れようとして、「死の舞踏(dance of death)」図を描いたことを指摘している。ホイジンハは、十五世紀という時代について、人々は死を免れることができないことに気付き、さらに、「『メメント モリ(死を想え、memento mori)』の叫びが、生のあらゆる局面に、とぎれることなくひびきわたっていた(24)」と指摘している。人間には、どのような苦難が襲い来るか分からない。その苦難のなかで、人間がどのように対応するかは、「宗教的人間」理解の重要な鍵である。ホイジンハの指摘にもあるように、人間は、不可避的に死の時を迎える。その死をどのように乗り越えるかは、人によって異なるであろう。そのときに、死の恐れから、「死の舞踏」を行って、その苦難から逃れようとするのか、それとも死という苦難を義なる神の与えられるものとして「受容」するかは、時代により、その人物の「永遠の〈なんじ〉」との関係により変わってくる。(pp.6-7)

(24) J・ホイジンガ堀越孝一訳『中世の秋』中央公論社、「XI 死のイメージ」、参照、二六八-二八九頁。田辺元「死を忘れるな」、『田辺元全集 一三巻』筑摩書房、一九六四年、一一五頁、参照。(p.19)

【コメント】