Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

村田充八 宗教の発見 第二章

村田充八 宗教の発見 第二章
【関心・疑問】

【論文名】
第二章 生駒の民間信仰と聖性

【著者名】
村田 充八

【書名・(巻・号)・出版社・出版年・(版)】
『宗教の発見――日本社会のエートスキリスト教阪南大学叢書; 88, 京都: 晃洋書房, 2010年, pp.23-63

【本文の構成】

第一章 宗教的人間と社会の分析視角
第二章 生駒の民間信仰と聖性
第三章 日本社会とキリスト教の影響力
第四章 カルヴィニストの信仰と日本社会
第五章 日本社会の宗教動向と社会的エートス
補遺 キリスト者の人生
書評

【内容の要約(ページ数)】

【引用したい文章(ページ数)】
 一九九五年のオウム真理教の一連の事件以来、識者によって、日本には宗教的な「核」が存在しないということがしばしば指摘された。文化庁発行の『宗教年鑑』は、日本の宗教者人口が重複者を含めて二億人を超えていることを毎年報告している。しかし、日本には、欧米にみられるような、「核」となる宗教は存在していない(14)。その善し悪しは別として、ドイツ近現代史研究の野田宣雄(一九三三-)は、その論文「正統宗教なき日本の悲劇」において、「日本ほど公共の場から見事に宗教が駆逐されている国は、めずらしいといってよいだろう(15)」と述べている。また、彼は、「マックス・ヴェーバーが『宗教社会学論集』のなかで示唆しているように、『魔術からの解放』がすすんで合理化されつくした社会では、かつては社会の合理化に貢献したような類の宗教までもが社会の片隅に追いやられ、非合理的性格を強めてゆく(16)」と指摘した。野田によれば、日本は、「宗教を社会の片隅に追いやってしまった(17)」のであり、彼は、「国際政治の上で文明と宗教が意味をもつ」今日の社会において、日本にも宗教関連の教育が必要であることを指摘した(18)。いわば、脱宗教国家と化した日本社会に関連し、野田の論文は多くの議論を喚起したのである。要するに、彼は、全体社会としての日本に、宗教を毛嫌いする合理化された社会的現実があることを示唆したのである。(pp.29-30)

(14) 例えば、米ドル紙幣には、IN GOD WE TRUST(われら神に信頼す)と印刷されている。米国が「核」としている宗教基盤が何であるかは、それだけで明らかであろう。これは、一八六五年議会の承認を得たことにさかのぼるとされる(エドウィン・S・ガウスタッド、大西直樹訳『アメリカの政教分離みすず書房、二〇〇七年、七八頁)。また、同書には、「セオドア・ローズヴェルト大統領はこの句を一九〇五年に削除したが、その理由は教会と国家の分離のためではなく、この文句が宗教の崇高さを『安っぽく』しているという彼の意見によるものであった」(同書、七八頁)とあり、「議会は一九〇八年にこの問題をとりあげ、一定の金貨と銀貨にこのモットーを刻印することを義務化し」、それが今に続いていることが報告されている(同書、七八頁)。
(15) 野田宣雄「正統宗教なき日本の悲劇」、『中央公論』一九九五年八月、六七頁。
(16) 同書、六八頁。
(17) 同書、六八頁。
(18) 同書、六八頁。(p.56)

【コメント】