Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

村田『宗教の発見』p.74

村田 充八『宗教の発見――日本社会のエートスキリスト教阪南大学叢書; 88, 京都: 晃洋書房, 2010年, p.74

〈引用〉
 春名は、キリスト教においては、「再生者」と「非再生者」の間には、イエス・キリストにおける贖いの業にあずかっているかどうか、すなわち、「思考の枠組み」として最も根底にある人間の「心」という点において、決定的な相違が存在することを指摘している。人間に関連するすべての行為や構築物が、人間の「心」に起源をもつとするなら、「再生者」と「非再生者」の間には、決定的な「心」の部分における「相違」、あるいは「対立」が存在することになる。しかし、春名が指摘した点において注目すべきは、キリスト者と非キリスト者との関係は、「心」(すなわち「思考の枠組み」の原点)に関する「対立」という点のみにおいてとらえるべきではない、という点にある。それは、言い換えると、キリスト者と非キリスト者の間に共通する部分にも着目すべきであるという点にある。両者の「相違」、すなわち「対立」のみを強調する視点においては、おそらく日本社会におけるキリスト教伝道の可能性は出てこないであろう。しかし、春名は、両者の間の共通する「関係」に着目する必要があることを指摘した。その「関係」とは、神はすべての人々の上に「一般恩寵」を与えられているという視点である。それは、日本人の感性と聖書の論理をつなぐものであるということができるかもしれない。