Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

比嘉『沖繩の民族宗教とキリスト教』pp.55-56

比嘉 盛久『沖繩の民族宗教キリスト教』東京: いのちのことば社, 1972年, pp.55-56

〈引用〉
 聖書によれば、キリストの御救いと関係のない異教徒は、宗教的で、道徳的であっても、神を持っていない人々である。したがって、その経験するところは神によるものではなくて、自分自身の思想、感情なのである。神を経験することと、神と交わることは、キリストの御救いによってのみ可能となる。アレキサンダー・マクラレンのことばだったと思うが、次のような意味のものがある。「およそ人間の信ずる宗教で、真理の片鱗もないといったような宗教はないであろう。世界のいろいろな宗教の中に、真理は黄金の礫(ツブテ)のように散在するのである。しかしキリストの御救い以外に、罪に堕落した人間の生活・心の態度を変化せしめ、完全なる贖い・完全なる永遠の救いを得しめる宗教があろうか」と。キリストが御自分の天の生命を分け与えて救うことは、神の律法(オキテ)の要求するところを、人間になしとげさせ給うためである。人間は、救主キリストがなしとげて下さった御救いにあずかった時にのみ、神の律法の要求するところを果たすことができるのである。