Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

尾山『聖書の教理』p.135

尾山 令仁『聖書の教理』東京: 羊群社, 1985年, p.135

〈引用〉
 最初の人間が罪に陥った時、彼は神の御前に立つことのできる正しさを失い、神との交わりをなくし、理性も意志も感情も、あらゆる機能が罪のために汚れてしまいました。そのために、罪の中に霊的に死んだ者となり、人類に罪が入ってきました。
 私たちは、原罪と個々の行為罪を区別する必要があります。すべての人は、罪の状態に生まれてきます。これが原罪で、この原罪という根から、個々の行為罪が出てきます。
 原罪というのは、罪責と腐敗と悲惨を含むものです。罪責とは対神関係の罪を意味し、最後に私たちが神のさばきを受けなければならないのは、この罪責のためです。腐敗とは対自関係の罪のことで、善を行なうことの無能力を意味します。これは、意志の無能力という形で表わされます。また、悲惨とは、対世界関係における罪の結果で、具体的には病気とかそうした外的に表われた不幸な姿を指しています。