Five Solas Ministry

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

鍋谷「ルツ記講解」『ヨシュア記 士師記 ルツ記』pp.247-248

鍋谷 尭爾「ルツ記講解」服部 嘉明, 湯浅 鉄郎, 鍋谷 尭爾『ヨシュア記 士師記 ルツ記』信徒のための聖書講解-旧約; 第6巻, 東京: 聖文舎, 1985年, pp.247-248

*ルツ記1章

〈引用〉
 六節、絶望の中に光がさし込んできた。それは故郷ベツレヘムではききんが去り、再び繁栄しているというニュースである。絶望した人は、自分で立ち上がれないほどの状況におかれている場合がある。そこで第一に必要なものは「よきおとずれ」である。すべての財産を失い、またすべての人生の希望を失っていたナオミは、このニュースによって新しい勇気を得、立ち上がることができた。ルツ記の著者は、さりげなく「主がその民を顧みて」という表現によって、ナオミの聞いた知らせが「神のよきおとずれ」であり、「福音」であり、思いがけないことが神によって起こされるかも知れないという伏線を引いている。「顧みる」と訳されたヘブル語「パーカド」の原意は「襲う」であるが、それが「訪ねる」となり、神が良い意味で臨まれる時には「顧みる」となる(創世二一章一、五〇章二四、出エジプト四章三一など)。一方、さばきのために臨まれる時には「罰する」となる(エレミヤ四四章一三、四六章二五、ホセア一二章二等)。ここでナオミが、故郷に繁栄が回復されたことよりも、それを主が顧みてくださった「しるし」としてニュースを理解したことのほうが重要である。