Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

遠藤「礼拝におけるいけにえと祭司の役割」『礼拝の聖書的な理解を求めて』p.81

遠藤 嘉信「礼拝におけるいけにえと祭司の役割――レビ記から」聖書神学舎教師会編『礼拝の聖書的な理解を求めて』東京: いのちのことば社, 2002年, p.81

〈引用〉
 つまり、自分で考えた方法ではなく、神の定めた唯一の方法によって、かろうじて礼拝者は神に近づくことができるのです。モーセは、二人の祭司の父であるアロンに神の御言葉を伝えます。「わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現わし、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現わす」(レビ一〇・三)。この二行の並行文において、神の「聖」と「栄光」が対応していることがわかります。神の「聖さ」と「栄光」が現れるために、神はイスラエルの民をご自身に近づけられます。しかし、命じられなかった手段で近づくならば、その神の「聖さ」と「栄光」に打たれて、死ぬことになるということです。そして、この悲劇的なことを通しても、神の「聖さ」と「栄光」が現されるのです。