Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

遠藤「礼拝におけるいけにえと祭司の役割」『礼拝の聖書的な理解を求めて』p.74

遠藤 嘉信「礼拝におけるいけにえと祭司の役割――レビ記から」聖書神学舎教師会編『礼拝の聖書的な理解を求めて』東京: いのちのことば社, 2002年, p.74

〈引用〉
 しかし、こうした牧会を古典的なものとみなし、今や「罪からの救い」から「地境を広げること」や個人的な「繁栄」に焦点を移し、「魂の癒し」よりも「精神の癒し」に力点を置く牧会に傾斜するという現状があります。これを冷静な目をもって観察する必要を覚えます。レビ記は、私たち牧会者が今もなお確認すべき「祭司の務め」について記しています。

I 神の「聖さ」(カドーシュ)をめぐって

 優先すべき問いは「どなたを礼拝するのか」という問いであると初めに述べましたが、この問いこそが私たちの礼拝をあるべき姿へと導くことになると思われます。そしてレビ記全体を貫く神学的主題は、神の「聖さ(カドーシュ)」です。ここに、あらゆる側面から神の聖さが示されています。