Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

近藤『礼拝と教会形成の神学』p.146

近藤 勝彦『礼拝と教会形成の神学』東京: ヨルダン社, 1988年, p.146

〈引用〉
四、「証し」できない時

 われわれはだれしもが特異な形での恵みとの出会いを持っているわけではない。特別に「証し」し得る何ものもないと感じる信仰者は、案外に多いのではないか。しかし、豊かな信仰の喜びの生活を生きている。常住座臥、主が共におられる恵みの中に生かされている。あれやこれやという一事、二事でなく、今日のすべてが「主のもの」として生かされたという喜びがある。それはすでに「証し」ではないであろうか。「証し」ができるか、できないかに、私たちの救いがかかっているのではない。特別に語る体験のない自分も、主の恵みに生かされていると知る。特別な「証し」を立て得ない自分に主が出会ってくださっている。この恵みとの遭遇は、「証し」できない時にも、「証し」できることであろう。それは、「証し」の喪失ではない。むしろ「証し」の回復の根本である。