Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

近藤『礼拝と教会形成の神学』pp.110-111

近藤 勝彦『礼拝と教会形成の神学』東京: ヨルダン社, 1988年, pp.110-111

〈引用〉
 たとえば、聖霊の働きが弱まった時に、教会の制度が整ったといった、制度としての教会と聖霊の活動とを対立的に理解する誤った常識が、まだまだ見られるのではないであろうか。それではまるで聖霊の御業なしに聖書が正典化されたかのごとくであり、「彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった」(エペソ四・一一)と言われている職務も、聖霊の御業なしに成立したかのようではないか。しかし、およそ制度形成の力でないような霊、あるいは頽落した制度に対し、制度回復、制度改革の能力のない霊、制度解体的な霊は、聖書の語る聖霊とは言いがたいであろう。「主は聖霊によりて宿り」とあるように、聖霊とは御子を地上に受肉せしめる霊であり、またその受肉したキリストご自身の霊として、地上に結実をもたらす霊であるはずである。