Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書黙想 マルコによる福音書6章45~52節

聖書黙想 マルコによる福音書6章45~52節(新共同訳 新約p.73)
「水の上を歩かれたイエス

 奇蹟そのものよりも大切なのは、奇蹟の意味である。5つのパンと2匹の魚の奇蹟の後、イエスが「弟子たちを強いて」、「向こう岸のベトサイダへ先に行かせ」たのは、人々がイエスを政治的なメシアと誤解することを案じたからである。イエスご自身も「群衆と別れ」、一人「祈るために山へ行かれた」。歓呼の声をあげる群衆が大勢いる場所ではなく、御父と交われる場所をイエスは選ばれた。弟子達を乗せた舟が湖の真中で立ち往生していると、イエスは「湖の上を歩いて弟子たちのところに行」かれた。「幽霊だと思い、大声で叫んだ」弟子達に、イエスは「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と、ご自分のことを明かされた。「わたしだ」に該当するギリシア語「エゴ・エイミ」は、神がモーセにご自身の名を明かされた表現と同じで、イエスが主なる神と同等の方であることを示している。水の上を歩かれたイエスは全能の神であり、政治的な目的ではなく、神の国のために奇蹟を行われる。