Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書黙想 マルコによる福音書12章35~40節

聖書黙想 マルコによる福音書12章35~40節(新共同訳 新約pp.87-88)
「偽善的な律法学者」

 イエスは、万物の創造主であり、主権者である。当時、律法学者は、キリストを、外国の圧制からユダヤ人を解放してくれる政治的な指導者としてしか考えていなかった。イエスは彼らの主張を否定された。イエスは、ダビデの子孫であるが、ダビデが「主と呼んでいる」神の御子である。律法学者は律法の解釈者であり教師でありながら、口先だけで神を敬い、その心は御言葉から離れ、御言葉の真意を理解していなかった。そのため、律法の最も大切な戒めである神への愛と隣人への愛を軽んじていた。このような偽善的な姿は、「すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべき」神殿が「強盗の巣」に転落していたことを(11章17節)如実に見せている。キリストを主として告白する信仰は、謙遜と奉仕の生活へと結びつかなければならない。