Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書黙想 イザヤ書53章10~12節

聖書黙想 イザヤ書53章10~12節(新共同訳 旧約p.1150)
「主なる神が望まれることを成し遂げた僕」

 イエス・キリストは、「多くの人が正しい者とされるために」、人間の「罪を自ら負った」(11節)。人間を罪から救うために「多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをした」(12節、ルカによる福音書22章34節)。そして、イエス・キリストがご自分の命を「償いの献げ物」として差し出されたのは、「主の望まれること」であった(10節)。それ故、この方を自分の救い主として受け入れる時、私達は義と見なされ、主なる神の刑罰を免れることが出来る。イエス・キリストは「自らの苦しみの実りを見/それを知って満足」(11節)される。主なる神もイエス・キリストによって大いに喜ばれる。「彼は子孫が末永く続くのを見る」(10節)や「彼は戦利品としておびただしい人を受ける」(12節)といった表現は、主なる神がイエス・キリストに与えられる祝福を表している。「十字架の死に至るまで従順」であったが故に、主なる神は「キリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えに」なった。イエス・キリストは、「天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて」、その「御名にひざまずき」、王の王、主の主として崇めるべき方である(フィリピの信徒への手紙2章8~11節)。