Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書黙想 エレミヤ書40章7~12節

聖書黙想 エレミヤ書40章7~12節(新改訳 旧約pp.1210-1211)
「ゲダルヤのリーダーシップ」

 リーダーシップは危機的な状況の中で光を放ちます。混乱した状況を迅速に整理して正常に戻す力は、国が滅んだユダの地に必要なリーダーシップでした。バビロンは捕囚を連れて本国に帰還する際に、ゲダルヤをユダの総督として任命しました。ゲダルヤの父アヒカムは、エホヤキム王の時、エレミヤのいのちを救った人物でした(26章24節)。ゲダルヤは総督としてユダに残された貧しい農民や散らされていた軍人、周りの国に逃げていた避難民を集め、速やかに安定した生活に戻れるように全力を尽くしました。残った果物と油を集め、次の年のために蓄えもしました。バビロンの王が立てた指導者ではあっても、ゲダルヤはユダの地に残された者たちのために立派なリーダーシップを発揮した指導者でした。

聖書黙想 エレミヤ書40章1~6節

聖書黙想 エレミヤ書40章1~6節(新改訳 旧約p.1210)
「ユダに残るエレミヤ」

 神の人は、神が願われる場所にいなければなりません。その選択と判断には個人的な有益や安全は考慮されません。エレミヤがいるべき所はユダの地に残っている民の中でした。ところが、エレミヤはバビロンに引いて行かれる捕囚の民の中に含まれていました。侍従長ネブザルアダンの目にとまったエレミヤは、すぐに自由を得ました。そして、バビロンでも、ユダの総督ゲダルヤのもとでも、どこでも気に入った場所を選択する権限を与えられました。エレミヤはためらわずにゲダルヤのところに向かいました。バビロンに行けば、安全を保障され、良い待遇を受けられますが、彼はユダの民の中へと向かいました。彼らには神が遣わされたエレミヤが必要でした。「そこ」がまさに彼がいるべき所だったのです。

祈り エレミヤ書39章11~18節

祈り エレミヤ書39章11~18節(新改訳 旧約pp.1209-1210)

 神はご自分を信頼する者をどんな状況でも守られ、導かれる方です。信じる者を最後まで守られる神を仰ぎ見て、忍耐によって信仰のレースに勝利する者となれますように。

聖書黙想 エレミヤ書39章15~18節

聖書黙想 エレミヤ書39章15~18節(新改訳 旧約pp.1209-1210)
「エベデ・メレクの救いの約束」

 神はご自分を信頼して義を行う者に報いられます。特に、苦境に置かれた神の人を助けたことを忘れず、それにふさわしい祝福を与えられます。権力を恐れて誰もエレミヤの不当な監禁に異議を唱えなかった時に勇敢にエレミヤの釈放を求めたエベデ・メレクを、神は正しい者とみなされました。そして、神はエレミヤを守るようにエベデ・メレクを守ると約束されました。すべての人がさばきを受けても彼を救い出すと重ねて約束されました。神がエベデ・メレクの行いから何をご覧になったがゆえに、このような恵みを与えられたのでしょうか。彼の心からにじみだした神を信頼する心と態度でした。人々を恐れず、神の側に立った姿を尊く思われました。そして、彼に救いに対する約束を報いとして与えられました。

聖書黙想 エレミヤ書39章11~14節

聖書黙想 エレミヤ書39章11~14節(新改訳 旧約p.1209)
「保護を受けるエレミヤ」

 神はさばきの中でも新しい始まりを準備されます。神にとって、さばきは終わりではなく、新しい始まりです。エルサレムの町が崩れ、殺戮が満ちた無秩序の中でも、神はネブカデレザルを通してエルサレムを守られました。ネブカデレザルの命令によってエレミヤは監視の庭から連れ出され、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤの特別な保護の下で安全な所に移されました。牢から出て安全な所に向かう彼の歩みはどうだったでしょうか。おそらく涙で前が見えない苦痛の歩みだったでしょう。ところが、そこに到着すると、驚くことに残りの民がいました。神は民の中にエレミヤを遣わされたのです。さばきが始まりましたが、神の愛がすべて絶たれたわけではありませんでした。暗やみの中にも希望の灯火がありました。

祈り エレミヤ書39章1~10節

祈り エレミヤ書39章1~10節(新改訳 旧約p.1209)

 エルサレムとゼデキヤに対するメッセージのように、私たちに与えられた終末のメッセージもその通りに成就します。目を覚まして歩む、知恵深い神の子となれますように。

聖書黙想 エレミヤ書39章4~10節

聖書黙想 エレミヤ書39章4~10節(新改訳 旧約p.1209)
「ゼデキヤ王の悲劇」

 神のさばきの前に人間の力は無力です。ゼデキヤ王は、バビロンの軍勢が城壁を破って入って来ると、夜中に裏道を通ってアラバの荒野の方向に逃げました。しかし、夜という暗やみも、誰も知らない裏道や抜け道も、アラバに向かう彼を隠してはくれませんでした。いくらも行かないうちにバビロンの軍勢に捕まってしまいました。ゼデキヤ王と彼の家族はハマテの地にとどまっていたバビロンの王の前に引かれて行き、彼の家族はみな殺されました。そして、ゼデキヤは目をつぶされ、足かせにつながれます。エレミヤの助言どおりに降伏していたならば受けることのなかったわざわいが、ゼデキヤの愚かさによって残酷な現実となりました。誰でも神の警告を受け入れなければ、悲劇を経験するほかありません。

聖書黙想 エレミヤ書39章1~3節

聖書黙想 エレミヤ書39章1~3節(新改訳 旧約p.1209)
エルサレムの陥落」

 神のことばは必ず実現します。祝福のことばであれ、さばきのことばであれ、時が来れば必ず約束された実が結ばれます。バビロンの軍勢はゼデキヤ第9年の第10の月にエルサレムを侵略しました。そして、2年7ヶ月が経った後に再び侵略し、ゼデキヤ第11年の第4の月の9日にエルサレムを陥落しました。その2年7ヶ月の間、バビロンの軍勢の包囲網が解かれた時、にせの預言者たちが大手を振って歩いたことでしょう。しかし、それは最後の悔い改めの機会でした。神が離れたエルサレムは、もはや難攻不落の要塞ではありません。エルサレムの町が堅固だったのは神が守られたからです。神が離れたエルサレムの町には征服者バビロンの首長たちが座を占めていました。神のさばきはそのように始まりました。

祈り エレミヤ書38章24~28節

祈り エレミヤ書38章24~28節(新改訳 旧約pp.1208-1209)

 神のみことばの前で少しもためらわずに従える一日となりますように。みことばに熱心に耳を傾け、私の唇が神のみことばをしっかりと語れるように助けてください。