Five Solas

主なる神の言葉である聖書を、あらゆる事柄に関する最高権威、人生における規範とし、イエス・キリストを主とする神の国(支配)の拡大と完成を願っています。

聖書黙想 詩編106編16~23節

聖書黙想 詩編106編16~23節(新共同訳 旧約p.946)
「主の怒りをなだめたモーセ

 イスラエルの民の中には、指導者であり、執り成し手であったモーセや、主なる神に聖別されて祭司となった「主の聖なる人アロン」を「ねた」む人々がいた。彼らは主なる神の御前で自分自身を省み、罪を悔い改めるどころか、「徒党を組み、モーセとアロンに逆らっ」(民数記16章3節)た。そのため、主なる神は彼らを裁かれた。それはイスラエル共同体から嫉妬の根を引き抜くためであった。イスラエルの民が「ホレブで子牛の像を造り/鋳た像に向かってひれ伏した」時も同様であった。主なる神は、ご自分を「忘れ」、偶像を礼拝するイスラエルの民を全て滅ぼそうとされた。しかし、「主に選ばれた人モーセ」が「破らを担って御前に立ち」、イスラエルの民のために執り成しをした時、主なる神はモーセの祈りを聞かれた。主なる神は正しい方であり、また慈しみと憐れみの豊かな方である。